2009年 11月 23日
メルモについて
かなり忙しい一週間だった。
仕事はもちろんだけど、メルモの状態がかなり厳しくなっていたので精神的にも肉体的にもかなりハードだった。
妻もそのころは、ほとんど24時間メルモの看護をしていた。
決して逞しいわけではない彼女が、最期の数日は朝夕メルモを車まで抱いてB病院へ通っていた。
その中の唯一ポッカリ空いた僕の休みの金曜日午前11時にメルモは永眠した。
まるで僕のスケジュール帳を確認したように。
「プッ」と軽いげっぷをして静かに息をひきとった。
大好きな僕らのベッドの上で、僕らに抱きしめられて。
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2000年の1月4日に彼女はウチにやってきた。
酷く細くてフケだらけで、ずっと甘噛みをしていた。
凄くドキドキした出来事だったけど、途方に暮れた覚えもある。
何しろかなり自分の生活ペースを容赦なく崩壊させる悪魔だったから。
(でも僕も勝手なもので、居なくなった今その振り回された感をいとおしく懐かしく想う。)
その心配や悩みは、笑うほど愚かな杞憂だった。
メルモは瞬く間に単に犬じゃなくてパートナーのメルモという存在になった。
擬人化するのは好きじゃないけど、凄くイイ意味でその存在を意識しなくなった。
彼女のスペースが家の中の空気にいつもあった。
3年ほどトレーニングしたし、競技会にも出たりした。
でもそんなこと超越したツーカーな感じが瞬く間に存在できた。
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そんなメルモの肉球はいつも土で汚れていた。
幸いこのあたりは静嘉堂をはじめとして自然がかなりキープされている。
メルモは泥んこであろうと、林の中であろうと土の上をガンガン走り回った。
おかげでスレンダーな体型が特徴のフラットにしては彼女は筋肉質なゴツイ体つきだった。
もちろん凄まじく泳いだし、多摩川、富士五湖、葉山は大好きな所だった。
汚れたメルモは、逞しくて僕は大好きだった。
そしていろんな事を話しながらゴシゴシ洗うのだった。
なんてメルモとのワイルドな(?)日常を懐古してすべて書き連ねるのは不可能なので止めておく。
でも10歳と1ヶ月という生涯の99%がそんなステキな日々であったことは大切な僕の支えである。
たった3週間の凄まじい癌の末期症状の日々が彼女との生活の歴史を象徴するものではない。
ただ平穏な日常の思い出の最後に、かなりインパクトのある闘病の日々が存在しているのは確かだ。
そのバランスは、時がきっとほどよく整えてくれることだろう。

今はまだ体の一部をもぎ取られたような感覚だし、心の真ん中にはまだ風がビュービュー吹いてる。
腕を彼女の体に回した時の感覚や、顔をクシャクシャにした感覚はまったく残っている。
家の中が嫌になるくらい汚れないし、
先日も棚の裏側から立派な彼女の毛の固まりが転がり出たけど、
ただただ愛おしい。
ベッドの上のシーツにはメルモの毛がまったくついていない。
あんなにブーブー言いながらコロコロしていたのに。

家の中にメルモの肉体はもう存在しない。
でも過ごす時間の中でそれを感じて、それに微笑むことがあるようになってきた。
そんな時、僕はそっと心の中でつぶやく。
「ありがとう」と。
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小学生の時、兄と一緒に映画を観に行った。
行ったというよりは、連れて行ってもらったという感じだった。
映画は、「ポセイドンアドベンチャー」
主演はGene Hackman。
豪華客船が航行中に転覆して、天地が逆さまになった船内を脱出するスリリングなストーリーであった。
確かリメイクもされた映画で、当時の僕にはかなりインパクトのあった映画であった。
エンディング間近で、牧師役のGene Hackmanと生き残った数人の乗客のいよいよ絶体絶命のシーンがある。
そこで彼は自らの命をかけてみんなを救うのである。
この映画のクライマックスシーンである。
行く手を阻む高熱の水蒸気を止めるために身体ごとバルブに飛びぶら下がるのである。
下は炎の海。
ぶら下がりながらバルブを閉め、落ちて死ぬ間際に牧師の彼は神に叫ぶ。

「私たちは神に頼らず自力でここまで来た! 助けは請わない! だから邪魔するな! 
やめてくれ! 何人いけにえが欲しいんだ!」

メルモの癌との闘いでの末期、発作から戻った彼女を抱きしめて僕はこの台詞を思い出した。
右前足は、いくつもの腫瘍の皮下肉腫。
右前足の関節のうにある原発と思われる肉腫は、ただれて液化(漿液化)して出血もしていた。
右眼は癌が転移して、緑内障をおこし真っ赤に出血しかつ白濁していた。
10月4日に始まった脳への転移から来るてんかん発作への恐怖と常に闘っていた。
最期の1週間、僕らはそんな状態のメルモを抱いてほぼ毎日病院に通った。

メルモはいったい何をやったのですか?
僕らはいったい何をやったのですか?
助けは請わない、ただただ僕らと少しでも一緒にいたいメルモを邪魔しないで下さい。
あの綺麗なメルモの瞳、身体を返して下さい。
フラットとして生を受けたから悪性組織球症が必然なのですか?

つまり現実が、そして運命が理解できないのである。
だからただただ毎日癌という病魔と闘かい続ける日々だった。

交通事故で母親を亡くした僕はそれなりの死生観を持っていたつもりだった。
出勤途中で駅前をただ歩いていた彼女を、ターンしてきたタクシーがはねたのである。
きっと彼女は、定期券を探しながら歩いていて前をあまり見ていなかったのかなと僕は思っている。
運悪く一瞬の運転手の前方不注意で、僕の母親は存在しなくなってしまった。
実家に駆けつけると、キッチンのレンジの上にはその朝彼女が料理した
ゴボウの煮付けが普通に鍋の中にあった。
その悲しみとストレスが和らぐのには、永い時間がかかった。
ただこれは加害者と被害者がいるわけで、精神的に闘う対象は加害者である。
(今はもはやそんな気持ちはありませんが)
別に恨むとかというよりも、思考的にそういう原因者が存在するわけである。
凄くシンプルで、例えば神様に対しては母の成仏なんかをお願いする。
つまり変な言い方だけどバランスがとれているのである。
だがメルモの場合は、この我が母親のケースとはまったく違った。
原因が物理的にはメルモの中に存在して、そして僕はそれを恨み闘っていた。
根本的には、その運命というべき神の操作を憎み恨んでいた。

ただそんな僕は、ある景色を思い出した。
二度と忘れられない悪性組織球症発症を告げられた日のことである。
N大獣医学部藤沢病院でだった。
まったく予期していなかった診断だっただけに、かなり動揺した。
どうやって精算して、妻に声をかけ、メルモを車に乗せて帰ったかあまり覚えていない。
でもあの人間の総合病院となにも変わらない大きな待合受付フロアの景色は、はっきり覚えている。
断脚したビーグル、顔の一部が無いミックス、シーツに身を任せて担がれているレトリバー。
みんな飼い主さんと順番を待っていた。
可哀想になんて言っていられない現実がそこにあった。
でも飼い主さん達は時に微笑んで犬たちに声をかけ、いたわっていた。
当然なんだけど、犬を飼う(飼うという表現は嫌いだけど)ということは、この景色も含まれるのである。
その空間に身を置いて、僕は後頭部をがーんと殴られた感じがあった。

10年ほどメルモを育ててそれなりに経験を自負していた僕は、実は何も解っていなかった。
(これから初めて犬をお飼いになる方は、是非一度こういう大学病院の待合フロアに
暫し座られることをお勧めします)

先に述べた癌との闘いにかなり憔悴していた死の数日前、僕はこの事を思い出した。
そうかメルモの憎き癌もメルモの一部なんだ。
いや癌=メルモなんだ。
右前足の癌も、右眼や脳にとんだ癌もメルモなんだ。
この後確実に来る彼女の死もメルモなんだ。
総てを受け入れるところからメルモを考えるべきなんだ。
ちょっと禅の思考になってますが、遅まきながら僕は気づいた。
それからかなり楽になったのだが、その数日後メルモは逝った。
残念ながらもっと早く気づいていれば、メルモに対してのケアも変わっていたかもしれない。
でもメルモは、気づいた僕を確認して旅立った気がしている。
死という不条理なものに対してもがき苦しむ僕に、少しだけメルモはヒントをくれたのだろう。
時々遠い空を見つめている彼女の目は、本当に深い意識が宿っているようだった。
メルモは、そんなこと全部解っていたのかもしれない。


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軽快に後ろ足で地面を蹴りながら歩くメルモ。
そんなメルモに少し引っ張られ、ピョコピョコ早足で歩く妻。
静嘉堂の森の坂道、木漏れ日の中の彼女たちの後ろ姿。
僕は死ぬまでこの景色を忘れることはないだろう。





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2009年4月長野 妻の実家にて
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by kkmelmo | 2009-11-23 17:19 | dog


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