2006年 12月 05日
お寺さんと僕
僕の祖父祖母は僕が小一の時亡くなった。
いまだに朝礼の時、担任の太田先生が呼びに来たのを覚えている。
心臓麻痺で急死した祖父の手を握って祖母はショック死した。
信じられないけど事実である。
焼き場まで手を繋いだままだった。

その後、父が小さな仏壇を家においた。
そしてお寺さんが毎月来てくださるようになった。
子供の時はよく分からなかったが所謂檀家となったのある。
バイクでブブブブとお寺さんが月イチで土曜日に来てくださった。
両親共働きだった我が家は、ひどいことにそのお寺さんの日を時々忘れていた。
「こんにちわあ〜〜」ってお寺さんはやって来る。
慌てた僕と兄は座布団をひっくりかえして差し出す。
お寺さんはそんな慌てた兄弟の頭をを暖かく撫でて、静かに小さな仏壇の前に座られる。
そしてキレイにキレイにお経をあげてくださる。
まったく意味解釈は解らなかったけど、そんなお寺さんのお経を聞くのは好きだった。
当然足はしびれて、よく兄とそのしびれた足先をたたき合ったものである。
浄土真宗だからきわめて解放された雰囲気だったし、お寺さんの人柄とあいまった和やかな記憶がある。

その先代のお寺さんもお亡くなりになり、今は息子さんが立派にお継ぎになっている。
特に僕の母はこの息子さんを我が息子のように気にかけていた。
きっと早くから2人の息子達が上京してしまったから、彼女にとっては思い入れがあったようだ。
その母が亡くなったときは、若きご住職が涙ながらに読経してくださった。

遠く東京で暮らす僕のお寺さんとの思い出はきわめて日常のシーンばかりである。

今実家でひとりで暮らす父にとってお寺さんは大切な存在である。
母の墓も境内にあるし、お寺のいろいろな催し物にも参加しているようだ。
彼なりに今の住職のお力になることが出来ればと世話役をかってでたりしている。
僕にとっても何かと住職が父を見ていただいていて心強い。

先日実家に帰ったとき、たまたまお寺に行く父についていった。
檀家の皆さん(若い仏教系大学生なんかもいてちょっとビックリ)がお経を読まれる。
そのささやかに清廉な気持ちになる空間が好きだ。
東京でかなり無機的な時間軸で生活しがちな僕にとっては大事な時間だった。
僕にとっての宗教は「亡き母」であるが、それを自然に感じられる一時であった。

さてさて、そしてこのお寺さんは結構な犬好きでいらっしゃる。
先代のゴールデンレトリバーが亡くなった後、奥様も落ち込まれていたと聞いていた。
そしてこのたび新しい家族が登場したみたい。

「いやああ〜〜、会っていってやってください!!」
なんてその時も奥様にお許しを頂いて奥の部屋にお邪魔すると、いましたいました!!
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バーニーの蓮(れん)である。
名前がもうお寺さんの子でしょ。
もうすぐ7ヶ月だが28キロあるのだ。
もうウヒャウヒャで、僕の耳は立派にヨダレまみれ!!
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子供の時からの写真を住職が送ってくれました。
かわいいなあ。

また母にも蓮(れん)にも会いに行かなきゃ。
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by kkmelmo | 2006-12-05 00:06 | daily scene


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