2005年 03月 31日 ( 1 )

2005年 03月 31日
中田と松井
試合後、良いにしろ悪いにしろエセなさわやかさを伴ってその日の
自分のプレーを語るヤンキース松井は、僕にとってかなりいただけない。
彼が世界的にも優れたスタープレーヤーであることは当然理解できる。
ヤンキースのクリンナップを打っているレギュラーである。凄い!!
だからこそ、律儀にまるで解説者のごとく自分のプレーを語る彼の映像を見るたびにかなり萎えるのだ。
そんなことは聞きたくないのだ。
瞬間瞬間の奇跡を感じる喜びに溢れたノンフィクションの感動を「ラッキーでした!!」
なんて言葉で片づけてほしくないのだ。
ましてや本人に・・・。
知らなくて良いのである、真実を。
知らないが故に想像し、その奇跡に酔いしれるのである、我々は。

たとえばイチローは語らない。
まるで自分にとってはその行為が厳格なルール違反であるがごとく。
松井やイチローといったレベルのスラッガーに対して我々ファンは
ひたすら奇跡の連続のストーリーを期待しているのだから。
お願いだから道が混んでいたことを語る我々の日常の言い訳のように短絡的に
自分の奇跡を語って欲しくないのである。
正月帰省中の実家で、コタツに入りつつ両親と和む松井をTVで見たとき
「こいつはダメだ〜〜」と思ってしまった。
あまりにもエンターテイメントの美学が無さ過ぎる・・・・。
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今日のバーレーン戦で、久々の日本のピッチにたった中田の横顔を見た。
まるで孤高の鷹のごとく研ぎ澄まされた視線の向こうに我々の想像を絶する独りぼっちの戦いを感じた。
ただ寡黙にボールを追い、キープし、パスを出していた。
でもあのかって城に供給していた精度のある厳しいパスは見られない。
きっとそれを彼は良く自覚していると思う。
タフで狡猾になった俊輔や小野と中田を同時に配置することは、
かなり中田の現実を露呈してしまうのではないかと過剰に心配してしまう。
それくらいこの予選は、その時の選手達の存在が所属クラブでの試合より露呈する場だと思う。
だから同じフォーメーションとコンデションはあり得ないのであろう。
賛否両論が現役の勲章であるという厳しい論評の中、
ただただ寡黙に自らが創造する奇跡を信じて中田は走っていた。

国歌斉唱の時の、目を瞑り君が代を唄う中田をテレビのアップで見たとき、
そのあまりのも語らない孤高の存在感に感動して、涙がでてきた。
そこに余裕を持たずに燃え尽きるギリギリの凄さを感じた。

彼は永遠に謎であって欲しい。
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by kkmelmo | 2005-03-31 01:02 | amusement